静岡県浜松市の次郎法師ゆかりの地【龍潭寺】をご紹介

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次郎法師ゆかりの地「龍潭寺」を訪ねてみるなび!

次郎法師ゆかりの地「龍潭寺」を訪ねてみるなび!

大河ドラマ「おんな城主 直虎」で注目を浴びる浜松市北区引佐町。「井伊谷町」は井伊家ゆかりの地であり、次郎法師が女性でありながら領主として活躍したエリアなび。許婚の亀之丞(井伊直親)の行方を懸念しつつ、出家したお寺が「龍潭寺」。井伊家代々の菩提寺なびよ。国の名勝記念物に指定されている美しい庭園も見どころなび!

「遠州の古刹 龍潭寺」に到着なび

遠州の古刹 龍潭寺。代々、井伊家の菩提寺です。

龍潭寺の歴史は古く、733(天平5)年に行基菩薩によって開創されたといわれているなび。「井の国」と呼ばれた井伊谷は、平安時代から戦国時代までの600年もの間、井伊家が治めた地。初代の井伊共保から代々の御霊を祀る、井伊家の菩提寺なびよ。まずは山門に到着なび!1656(明暦2)年の山門とされているなび。山門から古刹の重厚感たっぷりなび~!

出世パワーにあやかりたいなび!

境内にある「井伊直政」の石碑。浜松城主が代々出世を遂げた浜松市は「出世の街」と呼ばれています。

境内には「徳川四天王 井伊直政公出世之地」と彫られた石碑があるなび。浜松市は「出世の街」と呼ばれ、徳川家康をはじめ、浜松城主が代々出世を遂げたことや、全国・世界に名だたる偉業人を数々輩出した地なび。そして「井伊直政」も徳川四天王のひとりとして、彦根藩の大名へと出世したなび。井伊家断絶の危機をこの地で乗り越え、井伊直親の忘れ形見・直政出世の礎を築いた立役者が次郎法師(井伊直虎)なび。

「井伊家歴代墓所」。平安時代から室町時代は遠州地方の国人領主として、鎌倉時代は幕府に仕えて戦った井伊家の人々が眠ります。

「井伊家歴代墓所」へお墓参りなび。井伊家は平安時代から室町時代まで、遠江の国人領主として遠州地方を治めてきたなび。鎌倉時代には幕府に仕え、南朝方の宗良親王の援軍として北朝方と戦ったなびよ。次郎法師(直虎)が女性でありながら地頭を治めたのは、今川氏侵攻によるものなび。代々の身内、直虎の許婚の直親までも他界。幼い虎松(のちの直政)を後継者にと、次郎法師は奔走したなび。次郎法師(直虎)のお墓は向かって左手。直親の隣で安らかに眠っているなびよ。

奥に見える建物は「御霊屋」。井伊家一千年の歴史を祀っています。

奥の建物は井伊家一千年の歴史を祀る「御霊屋」なび。井伊家初代・共保、二十二代・直盛、二十四代・直政の木像を安置しているなび。格子窓から凛々しい姿を目に焼き付けるなび。近江彦根第15代藩主、井伊直弼の位牌もここにあるなびよ。幕末の動乱期、開国への勇断をした井伊直弼。次郎法師(直虎)の存在が無ければ、直弼も存在しなかったといえるなび。

本堂と庭園も見学するなび!

「龍潭寺」の本堂。1676(延宝4)年に二十七代・井伊直與によって再建され、内部は拝観可能です。

ここは「龍潭寺」の本堂なび。1676(延宝4)年に二十七代・井伊直與によって再建されたものなびよ。9:00~16:00までは内部を拝観できるなび。ドラマの影響もあってとってもにぎわっているなび。本堂内は鴬張りになっていて、歩くとキュッキュと音がなるなび。

「龍潭寺」の風情ある庭園。国の名勝文化財に指定され四季折々の風景を楽しめます。

「龍潭寺」の庭園は、江戸時代初期に小堀遠州によって造園された池泉鑑賞式庭園で、国の名勝文化財に指定されているなび。春はさつき、秋はドウダンツツジを見ることができ、四季折々の表情を楽しませてくれるなび。配置された石にも意味があり、向かって右手には石が多めで左手の御霊屋側には石が少なめなび。現世から前世を表現しているともいわれているなび。和心の奥深さ、日本の美意識を感じられる庭園なびね。

井伊家歴代の殿様が参詣された際、休息された貴賓室。

ここは、井伊家歴代の殿様が参詣された際、休息された貴賓室なび。1851(嘉永4)年には、井伊直弼も訪れたなび。「御霊屋」を拝し、茶礼を受けたと伝わっているなび。1858(安政5)年に幕府の大老へ出世して、幕末の動乱期で大役を果たしたなび。家系を守り抜いた次郎法師、国への貢献を貫いた直弼。将来のため、身を呈した二人の決断力は素晴らしいなびね。

母心はいつの時代も同じなび!

「松岳院跡地」。次郎法師(直虎)のお母様の住居跡地です。

仁王門近くにある「松岳院跡地」は、次郎法師(直虎)のお母様の住居跡地なび。次郎法師(直虎)の父、二十二代井伊直盛が桶狭間の戦いで織田信長の奇襲を受け他界したのち、母は松岳院という法号を授かり仏門に入ったなび。また、次郎法師(直虎)が「井伊谷城」を追われた際、ここで過ごしたともいわれているなび。松岳院はどのような気持ちで娘を見守っていたなびかね。大変な立場を背負わせてしまったこと、これからのこと。娘を守りたい気持ち一心だったはずなび。

息子虎松の安泰を願った母(直虎)が植樹したと伝えられる「梛の木」は樹齢約400年のご神木。

松岳院へ身を寄せた虎松(直政)。この「梛の木」は、息子の安泰を願った母が植樹したと伝えられているなび。次郎法師(直虎)は井伊直親の忘れ形見である虎松を徳川家康と引き合わせる策をここで練っていたなび。その後、次郎法師(直虎)と松岳院は仕立てた小袖を虎松に着せ、徳川家康と引き合わせることに成功したなび。のちに虎松が徳川四天王のひとりとして大活躍したのは周知のとおりなび。母子の絆を、樹齢約400年のご神木から感じてみてほしいなび!

井伊家との縁が深い「井伊谷宮」へも立ち寄るなび!

「龍潭寺」の隣にある「井伊谷宮」は、後醍醐天皇第王子・宗良親王が御祭神なび。南北朝時代にこの地を本拠に各地転戦し、晩年もこの地で薨去されたなびよ。和歌に秀でていたことから、「学徳成就・合格」の神様として崇められているなび。宗良親王家と井伊家とのかかわりも深く、両家を御祭神とする「摂社 井伊社」も境内にあるなびよ。

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