静岡県伊豆の国市の名所【韮山反射炉】をご紹介

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祝・世界遺産登録!「韮山反射炉」に行ってきたなび!

祝・世界遺産登録!「韮山反射炉」に行ってきたなび!

幕末期に伊豆韮山の代官だった江川英龍と、跡を継いだ息子の江川英敏が完成させた「韮山反射炉」。1922(大正11)年に国指定史跡となり、2007(平成19)年に経済産業省により、近代化産業遺産に認定されたなび。そして、2015年(平成27)年、ついに「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として世界遺産(文化遺産)に登録されたなび。そんな今注目を集めている「韮山反射炉」の仕組みや歴史を勉強してきたなび。

反射炉誕生の歴史的背景とその仕組み

韮山反射炉は実際に稼働していた反射炉で現存している貴重な溶解炉です。

反射炉とは、金属を溶かして鉄製砲を鋳造するための溶解炉で、実際に稼働していた反射炉が現存するのは韮山だけらしいなび。17世紀から18世紀にかけてヨーロッパで発達した製法で、炉体部のドーム型になった天井で炎と熱を反射して炉床に熱を集中させ、鉄を溶かす1,000度以上の高熱を出すことから、反射炉と呼ばれているなび。

伊豆韮山代官の江川英龍の像。江川英龍を責任者として反射炉の築造が決まりました。

1840(天保11)年にアヘン戦争が起きたことから、当時の日本では、列強諸国に抵抗するための軍事力強化が課題となっていたなび。その頃から、蘭学に通じていた伊豆韮山代官の江川英龍は、西洋砲術の導入や西洋式築城術を用いた台場の設置、海軍の創設など、一連の海防政策を幕府に進言していたなび。1853(嘉永6)年のペリー艦隊来航を受けて、ついに幕府が動き、江川英龍を責任者として反射炉の築造が決まったなび。ちなみに、フジテレビがある「お台場」や日本での初めてのパンも江川英龍が造ったなびよ。

当初は下田に築造される予定の反射炉でしたが、水兵の侵入事件があり、代官所に近い韮山に変更になりました。

なぜ韮山に反射炉が築造されたかと言うと、当初は伊豆半島先端に位置する港町・下田に築造される予定だったのが、工事中の反射炉敷地内に、ペリー艦隊の水兵が侵入する事件が起きたことから、急遽、代官所に近い韮山に変更になったなび。

製砲の一大工場

反射炉の周囲には大砲を作るための施設が多くあり、一大工場でした。

そんな「韮山反射炉」は、1864(元治元)年に幕府直営の反射炉として役割を終えたなび。今は鉄のフレームにレンガ積みが特徴の高さ約15.7mもある煙突だけど、稼働当時は湿気対策としてレンガの上に漆喰が塗られていて真っ白だったらしいなびよ!さらに、反射炉の周囲に、作業小屋や倉庫などの大砲を作るための施設が建ち並び、多くの職人が働いていた一大工場だったなび。

稼働当時は湿気対策としてレンガの上に漆喰が塗られた真っ白な煙突でした。

稼働当時の「韮山反射炉」を再現したCGが、伊豆の国市のHP(紹介ページ)に掲載されているなびから、是非チェックなびっ!その壮大さから、江川英龍の「日本のため、そこで暮らす人々のためになりたい」という強い思いが感じ取れるなびよ。

二つの世界遺産を眺めることができる絶景スポット

「韮山反射炉」の隣にある、レストラン・お土産処の「蔵屋鳴沢」。春と秋には茶摘み体験ができる小高い茶畑を登ると、遠くに富士山、眼下には反射炉と、同時に2つの世界遺産を見ることができるなびよ。また、敷地内の地ビール工場では、伊豆韮山の清涼な湧水を使用して「反射炉ビア」が作られているなび。その場で飲むのもお土産にもぴったりなびね!

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